能登和子理事長 就任挨拶
長く理事長の重責を担ってこられた青葉前理事長の後を受け、理事長に就任いたしました能登和子です。
私は、昭和44年に東京にある児童養護施設に就職しました。その頃、巷ではコインロッカーベイビーという棄児が社会問題となっていました。乳児院にも児童養護施設にも乳・幼児がたくさん入所していて、その対応に苦慮していました。
一方、乳児院・児重養護施設では入所児の社会性の低さが問題となっていました。その両方を解決しようと養育家庭制度の検討が東京都と施設側で始まりました。
私の働く施設でも論議を開始し、興味深く論議に参加したことを覚えています。
そして昭和48年東京都の養育家庭制度が出発し、幼児を中心に養育家庭に委託されました。当初児童養護施設3施設で始まった養育家庭センターが、私がセンターワーカーとなった平成元年には乳児院を含め9センターとなっていました。 10年間の里親子との関わりで、途中措置変更となった子供たちも多々ありましたが、養育家庭の中で培った大人への信頼は、その後の子供の生きる力になっていることが多いこと、途中措置変更・満年齢解除となった後も交流を継続している里親子が多いことを見て、私もいつか養育家庭になろうと考えるようになりました。
実際に養育家庭となってからは、子供の一挙手一投足に一喜一憂することもままありますが、仲間と共に乗り越えてきたことを実感ています。
今年度、東京養育家庭の会の課題として23区児重相談所設養問題それに伴うフォスクリング機関問題等ありますが、何よりも大切なのは里親が生き生きと前向きに、子供の成長を信じて日々の生活を送ることではないがと考えます。
皆で考え、皆で行動する。私たちが目指すのは、”一人の百歩より、皆の一歩”
多くの支援の力を借り、子供達の未来のため頑張っていきたいと思います。
『NEWSこんにちは』2019年(令和元年)第34号より