明けましておめでとうございます。

今年も江戸時代の川柳から一句

方々の花嫁になる十五日

十一月十五日、花嫁のように着飾った子どもが近所の人から七五三の祝福を受けています。親子の誇らしい姿、ここまで子育てをしたことの安堵感は、今も昔も同じでしょう。

なぜ七五三なのかと問われると一瞬答えに詰まります。いろいろな説があるのでしょう。その中で七歳に着目すると、古くは「子やらい」と言って村の子どもとしてデビューさせる通過儀礼との説があります。七歳の子どもを村の神社に集めて、親の下から村の子ども集団への仲間入りを宣言する儀式でした。子育てを親の手元から離して、子ども仲間に「追いやる」瞬間でもありました。それが現代では七歳がちょうど小学校に入る年齢にあたるのは偶然でしょうか。

子どもは親から引き離されて、子ども集団の席に座らされるのは、誇らしくもあり、同時に初めて独りぼっちと出会う時でもあった筈です。孤独を味わう経験は、自立の一歩でもあります。親が側にいても子どもは一人で歩まなければなりません。

そんなことを考えながら、孤独という単語を辞典で引いてみたら、中国の古い書物に出ていました。「幼くして親の無きを孤といい、老にして子の無きを独という。」とありました。東洋の社会での「孤独」には深い響きがあるようです。そこには何やら里親制度の原点があるようにも思えます。特に、幼い時に親をなくすことの寂しさは言葉では言い尽くせないほどと思われ、友達がいないなどとは質を異にしている深い寂しさがあるのでしょう。そう考えると、改めて私たち里親の子育ては、その隙間を埋める極めて重い役割を負っていることに気付かされます。

新年にあたって、私たちが里親に籍を置いていることのありがたさに感謝し、連綿と続く人の世の営みの一角を担っていることの重さに思いを致してみたらと思います。

東京養育家庭の会 理事長 青葉紘宇

Tokyo里親net 二〇一九年一月号より